目的と手段
今年はインプットを大切にする年にしたいと思っている。
もう一月が過ぎてしまったが、今月はどうだったろうか。
インプットの1つとして日経オンラインをほぼ毎朝読み続けれたのは大きい。
今まではほぼ全く続かなかったからだ。
継続できる人間になることだけが目標になっていた。
その次まで思考を深められてなかったのだろう。継続してどうなりたいのかまで考えが至っていなかった。
今月を通して思ったことは、本や新聞を読もうと目標を立てるだけじゃ続かないということだ。
つまり目的を伴う目標を自分の中で明確にする必要があるのだ。
目的とは「実現しよう、到達しようとして目指す事柄」のことである。(大辞林第3版より)
目標とは「行動を進めるにあたって、実現・達成をめざす水準」である。(デジタル大辞泉より)
目的と手段を取り違えてはいけない。辞書にも書かれているように目標は目的を実現するための目印なのだ。
「今年こそは本を読もう」と言って続かないのはそこに目的がないからである。
本を読める人間になってどうなりたいのか?どうしたいのか?といった目的を持つことが動機に繋がる。継続の力になる。
そして、継続は手段でしかないと思う。
今月、日経オンラインを読み続けることができたのも継続することを通して自分の考えを持つ。そしてアウトプットすると言う目的が明確なものとして認識できていたからだろう。目的意識が大切と言われる理由がやっと分かった気がする。
1つ1つこうやって自分が変わって行くのを振り返り書き綴る。そして昨日まで自分のしていたことが間違いじゃないと
信じることで目標に近づきたいと思う午前一時である。
今月はどんな月にしようか
人は自分の鏡
準拠枠の記事に書いたことに少し通ずるものがあるが、自分という人間は他者とのコミュニケーションの中に存在する。
つまり社会において常に人と接することで生きている。そこにはコミュニケーションが存在する。
社会とはコミュニケーションの総体であると思う。
立命館大学の法学者瀧澤教授曰く、
「そこに人がいるだけでは社会は成立しない。人とのコミュニケーションが生まれて初めて社会は存在しうる。」
この言葉は他者は自分の鏡であることを意味すると思う。
つまり自分という人間は、接する人の頭の中のイメージによって概念的に形成される。
「話すこと」を通して
相手がどんな人間で、どんな価値観を持っていて、その人だったらこうするだろう、と言った予測をする。
自分を認識してもらえて初めて人は自分の存在に気づくのではないだろうか。
そして、相手とのコミュニケーションによって相手の自分に対する行動や態度は変わる。
最近私は何か相手に対して違和感を感じたら自分の行動を見直すことにしている。
それは他者は自分の鏡であると思うからだ。
正直、これは友人、恋人などと言った人間関係において言えることだ。
人間関係において、相手のことを完全に理解するのは不可能である。
しかし、自分の行動や言動に原因を探すことは摩擦や誤解を解消しうる考え方ではないだろうか。
しかし、政治の世界ではそれは難しいのかもしれない。
自国がその正義を掲げて戦争を正当化しそれが連鎖になっていく。
この世から戦争がなくなることを望んでるとかではなく、こう言ったことを考えると
いつも戦争は連鎖的に受け継がれていくのだと考えに至る。
そんなことを考えている午前一時である。
漫画ナルト42巻より、ペインがナルトに言った言葉を引用しておく。
「俺たちは正義という名の復讐へと駆り立てられた普通の人間だ。
だが、復讐を正義と呼ぶならば、その正義はさらなる復讐を生み憎しみの連鎖が始まる」
継続する力
プロフェッショナル仕事の流儀を見た。
本場イギリスが認めた靴職人の回と
羽生名人の回を見て心に残った言葉がある。
「昨日の自分を信じることが大切だと思う。それが継続につながる。」
靴職人の方は芸大卒業後イギリスに渡り本場の靴作りを学んだ。
その後帰国しメーカーに靴のデザインを売り込む生活を10年。
しかし、日の目を見ることがなかなかできずついに自分の店を開くことに。
客0からのスタートで苦労したものの現在完全オーダーメイド超人気靴屋として知られている。
十数年認められずに嫌にならなかったのですか?という茂木健一郎さんの質問に対して答えた言葉がそれだ。
継続するためには昨日まで自分がしてきたことを信じること。それは間違いじゃなかったんだと信じることが続ける原動力になると彼は言った。
継続するのが大切というのは言い古された言葉だし誰もが言えるだろう。
しかし過去の自分を信じるという観点は私にはなかった。
確かに昨日やそれまでの行動に自信を持ったり確信することはある種続けるパワーになるのかもしれない。
そういった気づきにつながり、私にとっては名回である。
羽生さんも同様に継続するのが何よりも大事であると言っていた。
羽生さんは天才と言われた将棋棋士。継続する力が大切であることは天才だからこそ見出した境地なのかもしれない。
1つのことを突き詰めて突き詰めた彼らに共通することがある。
それは自分の経験を通して答えを見つけてることだ。
試行錯誤し苦楽を身体で感じてきたからこその「答え」をまっすぐな目で話している姿はカッコよすぎる。
私もそんな彼らからいいとこ取りをして
カッコいい人間になりたいと思う所存である。
私の尊敬する教授
大学四年間でただ1人尊敬する教授に出会えた。大学最後の秋セメスターで 経営学の講義をしてくださった方だ。
経営学の授業ではごくごく基本的なことが話された。例えば企業を取り巻く環境(インプット市場とアウトプット市場)、企業戦略とはなにか、人的資源をいかに使うか…などといった内容だ。
彼の授業はとにかく面白い。
色々考えてみたが、その最たる理由は
私たち学生が将来有益であろうと思われる情報や知識を共有することに徹しているからだろう。
例えば、前ブログで紹介した準拠枠という概念であったり、IT産業の流れ(AI、プラットフォームなど)、どのような企業が投資されているのかなどなど、、
中でも面白かったのはAmazonの事例。
Amazonは純利益が赤字になることも少なくなかった。それは業績が悪かったからというわけではない。常に前衛的な企業であったからだ。つまり、得た利益を大幅な割合で研究開発投資に充てているのだ。
Googleでもと同じことが言えるのだが、純利益があまり高く無さそうに見えて、GoogleやAmazonの時価総額は日系企業とは比べものにならないくらいの高さを誇る。
時価総額は投資家がいかにその企業に期待しているかを見る尺度。
研究開発投資をアグレッシブに続けているからこそ、Amazonではコンビニ事業への参入が果たされつつあるのはその顕著な例であろう。
このように、生きている教材を使い経営学という学問の楽しさを感じさせる彼に感激した。
彼から学んだことは多い。
その1つ1つを紹介したいところだが、また今後のブログに綴ろうと思う。
準拠枠
準拠枠とは自己のフィルターを通して物事を定義すること。
この準拠枠はしばしばネガティブな意味で使われることが多い。
年齢を重ねるにつれ自身の中に物事を測るものさしが増えていく。
〜はこうあるべきだ。といったような基準が増える。
と同時にそれはある種偏見や可能性を潰すことに繋がる。
このようなイメージが準拠枠には多い。
しかし準拠枠を増やして物事への考え方を増やすことは人生を豊かにすることを意味するのではないか。
少なくとも今の私には準拠枠が大切であると認識している。
他者から何によって覚えられたいか?
という問いにも準拠枠を充実させ自己表現することによって自分のイメージをブランドとして発信する、、、
うーむ、面白い